01 はじまりは硝煙と

ここはアルカジア。楽園、理想郷とも呼ばれる王国だ。
しかしその呼び名も今は昔、この国は現在二つの問題を抱えている。

一つ、魔導資源の急速な枯渇。
二つ、レジスタンス組織“パンデモニウム”による暴動。

魔導資源とは石炭やオイルに代わる新たな燃料である。従来の燃料より少ない量で同等の仕事ができるということで、その採取は国を主導に慎重に行われていた。
豊かであった魔導資源は国の繁栄に繋がり、その恩恵により国内の貧富に大きな差は出ていなかった。
それが枯渇してきているというのだから一大事だ。
資源の濫用を防ぐため使用量を規制され、規制も身分を元に行われているため、国内では不満の声が大きい。
魔導資源は生活に密接で、それらを買うにも金が必要だ。
その費用により貧富の差は以前よりも大きくなり、国内にいくつか存在していたスラム街は嫌な賑わいを見せている。

そして規制が始まる少し前、魔導資源の枯渇の噂と共に活発になり始めたのが“パンデモニウム”の活動だった。
いつから存在し、どこに根城を構えているのか、そのすべてが謎に包まれているレジスタンス。
確認できるのは魔術師が何名か在籍していることと、それらが国の認可を受けていない、いわゆる「無免許」の魔術師だということくらい。
彼らによる王家やそれに連なる家に対する加害行為は現在も続いているため、王国兵はその対処に日々追われている。
また富裕層への犯行が多いせいか、貧困層の中には彼らを義賊として好意的に見る人間も出てきている始末であり、そういった者たちへの対応も必要だろう。

二つの問題は国内に亀裂を生じさせ、薄氷の上の安寧はいつ崩れるかもわからない。

――ここはアルカジア。楽園、理想郷とも呼ばれた王国。
今のこの国に、“楽園”だった頃の栄華はない。

 

+++

 

……また、あの夢だ。

ぼやける視界の中ゆっくりと体を起こせば、部屋の中は未だ暗い。
彼女――ルチカはまだ覚醒しきらない意識の中窓に視線を向け、それから一言「夜」とつぶやいた。

(随分長く眠ったと思ったのだけど)

寝ぼけまなこをこすり、腕を伸ばし、あくびをひとつ。カーテンの隙間から入る月光が目にしみる。
ルチカはサイドテーブルのランプに火をつけ、それを片手に部屋の中心へ向かった。ひんやりとする床が残る眠気をわずかに奪っていく。
そうして普段はおやつ代わりの果物が置かれているテーブルにたどり着き、水差しからコップへ水を注ぐ。
コップの中を見れば視界に映りこむ、ぼさぼさとした桃色の髪と、少し不機嫌そうに細められた夜明け色の瞳。
平時であれば十分整った顔立ちをしているはずなのだが……眉間に深く刻まれたしわが、そのかわいらしさを六割ほどは削いでいた。

(ひどい顔だわ。……まぁ、それも、当たり前かしら)

コップを持たない方の手をそっと頬に当て、薄くため息をつく。
理由などとうにわかりきっている。近頃見る頻度が増えている『あの夢』だ。
なんてことはない、昔からよく見る夢だった。
光の満ちた空間、微かに漂う花の香り、自分に声をかけるあの存在。微笑みかけ、手を握ったその感触は確かに覚えている。
……はずなのに、どうしてもその感覚が、自分のものであるような気がしないのだ。
それがどこか気持ち悪くて、目を覚ますたびに何かが抜け落ちたような虚無感が胸を占めて。
だから、その夢を見るようになってからしばらくして、考えた。

――あの人が誰だか知りたい。会って、自分が抱いた感情が自分のものであると確かめたい。

自分の感情へ疑念を抱くのならば、それは至極まっとうで当然の欲求であるだろう。
夢の中でなく、現実で会ったときに感じることが、きっとすべてだから。

水を飲み干しコップを置いて、部屋の中へつい、と視線を滑らせる。
ふかふかの寝台、かわいらしく飾られた花々、優美な装飾のドレッサー。
美しく豪奢なドレスにきちんと整頓された本棚、そこに収まるのは学術書から童話まで多種多様な書物たち。
望むものは望んだだけいくらでも手に入る生活。ただひとつ、「自由」を除いては。

アルカジアの王女たるルチアには、自由がなかった。
朝から晩まで勉学や作法を叩き込まれ、危険だからと城の外へは出してもらえない。
あの城壁の向こうがどうなっているのかなんて知識でしか知らないし、楽園と呼ばれるこの国のどこに危険があるのかすらも思い至らない。
廊下を歩いていれば耳にする噂話も、彼女にとってはどこか遠い世界の話のようで。

そんな生活を窮屈だと思うことはあれど、外に出ようという意思を持つことはなかった。
王族であるということはこの国のために生きることが役目であり、そうであらなければならない、と昔から教育されていたからだ。
だから、その会いたいと思う人が王城の中にいない限り、きっと会うこともかなわない。
それもまた仕方のないことだろう。それが王女として生まれたものの定めなのだから。

(余計なことを考えてしまってよくないわ……もう、眠ってしまいましょう)

水差しからもう一度水を注いで一気に飲み干し、コップを置く。暗闇に慣れ始めた目には明かりは不要と、ランプに灯した火を消して。
そうして、ベッドへ踵を返し、いつものように一日を終えようとした、そのときだった。

「……え?」

――ふわりと、微かに風が吹きこんだ。
窓など開けていなかったはず、なのにカーテンがひらりとはためき、月の光がより強く部屋を照らす。
そして、その光が床に影を映していた。
一歩踏み出していた足を止め、思わずその影のたもとを見やる。

磨き上げられた革靴がまず目に入り、ぴったりとしたズボンと腰に巻かれた太めのベルト。
ベルトには月光をちかちかと反射するアクセサリがいくらかと武骨なリボルバー、大ぶりのナイフが吊るされていた。
おそらくはくすんだ青なのであろう上着を肩にかけ、夕焼けのような赤い瞳は片方だけ。もう片方は夜空に混じってしまいそうな濃紺の前髪で隠されている。

そこにいたのはひとりの青年だった。

交錯する、ルチカの夜明け色と、彼の夕焼け色。
青年はぱちぱちとその目を瞬かせ、それから手元の紙に視線を落とし、もう一度顔を上げる。そうして再度目が合えば、にこりと人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。

「あぁ、やっと見つけた」

おそらくはこちらよりも少し年上だろうか。普段勉学を教えに来るような人々はみんなだいぶ歳が上なものだから、こんな状況なのに少しだけ嬉しくなってしまう。
ルチカは彼が何故こんな時間にこんな場所にいるのかだとか、先程の言葉の真意すら考えもせず、意気揚々と声をかける。

「あの、あなたは――……っ!?」

つめたい空気、突き刺すような月光。そして――頬を鋭くかすめる風。
それはいつも夢で見たような、けれどもすべてが決定的に異なる光景。

「おっと、外れちゃったか」

驚いて目を見開く。
いつの間に抜き、引き金を引いたのだろうか。青年の手にはリボルバーが握られており、硝煙を吐き出す銃口は明らかにこちらへと向けられている。
突然のことに信じられない、という顔をしていたのだろう。

「ごきげんよう、王女サマ」

害意も敵意もなさそうな落ち着いた優しい声音に、先ほど起きたことこそが夢だったのだろうか、と錯覚しそうになる。
しかし銃口はいまだこちらに向けられたままで、彼の唇がどこか楽しげに言葉を紡ぐ。

「――キミの心臓をもらいにきたぜ!」

そう言われて、ようやく頭が理解する、その現実を受け止める。
目の前のこの青年は、「自分を殺しに来たのだ」と。