茹だるような夏が過ぎ、過ごしやすくも少し肌寒い秋が来た。
学校が始まればいつもの通りの日常。けれど、去年までとは少し違うところが一つだけ。
『今日、部活ある?』
LINEにそう入力して送信する。数分もしないうちに既読がついて、返信がきた。
『無いよ。シャロレーは?』
送り先――フラッドからの問いかけに、シャロレーはどこか嬉しそうな顔で、せっせと文字を打ち込み返答する。
『俺もない! 芋のやつ飲みに行きたい』
『来週からじゃなかった?』
『アプリ入れた〜』
『なるほど、じゃあ行こうか!』
フラッドからの了承の言葉に『またあとで』のスタンプを送る。それに既読がついてやりとりは終了し、鼻歌交じりにスマホをポケットにしまい込んだ。
至って普通の、いつも通りに見える遊びの約束。互いに誘い合って出かけるなんて今に始まったことではない、が。
今年の夏、二人の関係性は変わったばかり。今でさえ多少落ち着いてはきているものの、それでもれっきとした名前のついたお出かけは、思春期男子が浮き足立つのに十分な効力を持つ。
仕方ない、何回目何十回目だって、一緒に遊ぶのが楽しみなことに変わりはないのだ。
(どんな味かな、フラッドも飲むかなぁ。でもモバイル限定のやつもあるしな〜)
同じものを頼むつもりでいたけど、別のものを買って分けっこするのもいいかもしれない。機嫌良く足をぶらつかせるシャロレーの耳に聞こえてくるのは、
「なんだか嬉しそうですね? マイヤーズ副寮長」
「話しかけるなよ…あぁいうときのロレは惚気けてしかこねぇすから」
「わかりました! 俺もおじゃま虫になる気はありませんので…」
少し離れた席からこちらを窺う、友人たちのひそひそ声。
明らかに自分を見て行われているその会話に、思わず振り返って言葉を返す。
「おい聞こえてんぞ! 別に惚気けねーし!」
「ってあんたが思ってるだけで惚気けてんすよ」
「おアツいですね〜♪」
「リア充は楽しそうで何よりっす」
やいのやいのと好き勝手言う友人たちに不満げな、しかし満更でもなさそうな顔で応対し。新作のフラペチーノに思いを馳せながら、シャロレーは次の授業の準備を始めるのだった。
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そして、その日の放課後。
「なぁフラッドいる?」
「あの人ならもう帰りましたよ」
「えっ!?」
「嘘ですって。フラッドくーん、お迎えですよ〜!」
廊下の近くの席に座る友人に問いかけると、彼はわかっていますとばかりに教壇の方へ向かって声をかけた。つられてそちらを見れば、日直だったのか黒板を消すフラッドの後ろ姿。
「ちょっと待ってて〜」
黒板消しを持つ手をぶんぶんと振る彼に手を振り返して、シャロレーは友人に礼を言ってから教室前の廊下でスマホを片手に時間を潰す。
よく行く場所ではあるけれど、念のために地図を出して、最寄りの店舗を検索して、学園からのルートを確認して……そこまでしたところで、スマホにかかる影に気がついた。
「あ、フラッド」
「おまたせ。何してたの?」
「道確認してた!」
満面の笑みで答えれば、フラッドもにっこりと笑ってシャロレーのスマホの画面を覗き込む。そしてちょいちょいとタップを繰り返し、学園から二番目に近い店舗を指さした。
「今日はこっちにしない?」
「んえ? なんで?」
「ちょっと気分を変えようかなって」
「なる……ほど? いいぞ!」
それで気分が変わるのかはわからないが、彼が別の店舗に行きたいと言うのなら拒否する理由も特にない。
「……あ」
ない、のだが。
「どうかした?」
「んん、いや、こっちは行ったことないから道が…」
大通りに面しているから迷うことはなさそうだけど、いつもの店舗よりも離れているから、普通に歩いていくにも時間がかかってしまう。かといって、実際に見てみなければ組み替えるのはまだ怖いし、と。
そう答えれば、フラッドは何食わぬ顔で言う。
「おしゃべりしながらだったらすぐだよ。俺はシャロレーと歩くの好きだよ?」
ね? と首を傾げて微笑まれては、それ以上の言葉が出るはずもなく。
そのまま連れ立って校門を出て、他愛もない話をしながら。多くの生徒が向かうのとは逆の方向へと二人、足を踏み出した。
「美味しかった〜」
「だな! もう一回くらい飲みたいな」
「ふふ、行く時はまた誘ってね」
「もちろん!」
店に着いて注文をし、フラペチーノを飲みながらおしゃべりをして。時間が経つのが早いのはいつもだけれど、秋というのは思いのほか日が暮れるまでも短く。
どちらからともなく帰る支度を始め、店から出たなら綺麗な夕日に目を細める。
さて、それでは帰ろうか。来た道を進もうとしたところで、フラッドが小さくシャロレーの袖を引いた。
「ね、こっちから帰ろうよ」
彼が指すのは大通りから一つ外れた道。帰れなくはないはずだが、少し遠回りになるし、そちらを選ぶメリットは普段ならない、けれど。
「……そうだな」
なんとなく、フラッドが言いたいことがわかる気がして。自分と同じ気持ちならいいな、と、シャロレーは彼に並んで知らない道を歩いていく。
やはり大通りを使う人の方が多いのだろう。その道は人通りも疎らで、どこか非日常にいるような感覚にとらわれる。店内にいる時間では足りなかったのか、引き続き今日の出来事を楽しげに話すフラッドの横顔も、夕日に赤く照らされている。
それにちらりと目をやれば、じんわりと幸せな心地で頬がゆるむ。好きだと、愛しいと思うまま視線を下にずらし――そろりと、フラッドの小指に自分の人差し指を引っかける。彼の手が僅かに震え、こちらに顔を向ける気配がしたが、突然どうしようもなく気恥しくなって視線すらもそらしてしまう。
スキンシップなんて今更だ。お互いパーソナルスペースが狭い方だったから、肩を組んだりハグをしたり、そんなことは割と日常茶飯事だった。
それなのに、ただ指一本触れただけでこんなに居た堪れない気持ちになるのは、意識して触れてしまったからか。それともここが普段と違う、学園の外だからだろうか。
あぁそうだ、そうに違いない。誰が見ているかもわからないのに。
我に返って引っかけた指を外せば、ひやりとした指が追いかけるようにシャロレーの手を絡めとる。驚いて思わず顔を上げると、フラッドが悪戯っぽく目を細めて笑う。
「誰も見てないよ」
心を読んだかのような言葉と、己の指の間に差し込まれ、握り込まれる彼の指。これは所謂恋人繋ぎというやつではないか、と思考の端で考えて、じわりと顔に熱が上がる。まったくの自業自得だがそれすらも恥ずかしくて仕方がない。
「でも、」
「俺と手を繋ぐのはいや?」
シャロレーの顔を覗き込みながらフラッドが言う。そんなわけがあるかと叫びたいような気持ちでシャロレーは口をもごもごさせた。
「いやじゃ、ない、……です……」
何故か敬語になっているのを聞いてくすくすと笑い、するりと指の側面を撫でる彼に少し恨めしげな視線を向けて、その手をしっかり握り返す。
「けど、……帰るまでこのままでいいの?」
「うん。帰るまでこのままでいいよ」
唇を尖らせながら聞くシャロレーに、間髪入れずに答えるフラッド。あまりにも迷いがない返答に思わず笑って、一度だけ大きく繋いだ手を振ってみせた。
行きよりも半歩近い距離で帰路につく、二人分の影が長く伸びる。
お互いの顔がいつもよりほんの少し赤く見えるとしたら、それは夕日のせいだということに今はしておきたい。