深夜1時の春寮6階。
寝る前に本を読んでいたら思いのほか目が冴えてしまい、ホットミルクを作りにキッチンへ出たフォンスは、背後から視線を感じていた。
正体は見なくてもわかる。フォンスと同じ春寮の副寮長、シャロレーである。
彼はフォンスとほぼ同時に部屋から出てきて、のっそりとトイレに向かった後、明かりが見えたのかキッチンまでやってきた。
ちらりと見やれば、机に突っ伏す彼の頭。眠いのなら部屋に戻れと言いかけたが、何やら様子が妙である。
フォンスは少し考えて、大きめのマグカップに作っていたホットミルクを半分、シャロレーがいつも使っているマグカップに注いだ。そしてそれを彼の傍に置き、声をかけようと口を開いたところ、
「どうしよフォンスぅ……」
……普段のおよそ1割ほどの声量で呼びかけられた。重症に見える。
キッチンに来たのもおそらく誰かに話を聞いてほしかったからだろう。察しの良いフォンスは小さくため息をつき、角を挟んで隣の席に着いた。
「どうした、マイヤーズ」
発言を促すように呼びかければ、シャロレーは不服そうな、それでいてどこか不安げな顔をフォンスに向ける。
「あのさぁ、」
「なんだ」
「俺、重いかなぁ……?」
「……はぁ……?」
まったく話が読めない。
シャロレーの話に脈絡が無かったりするのは今に始まったことではない。それでも何となく言いたいことがわかるのは長年の付き合いの賜物だろうが、今回はいったいどうしたのだろう。
ホットミルクを飲みながらフォンスは分析する。ここまでテンションが地に落ちていて、「重い」という単語を使うとなると、人間関係。それも、ここ最近生えたばかりの“アレ”ではなかろうか。
果たしてそれは的中し、彼の口から出たのは予想通りの名前であった。
「俺さ、フラッドと付き合い始めたじゃん」
「そうだな。もう隠す気無いのか?」
「なんかもうみんな知ってるしいいかなって……」
フラッドとは冬寮の水瓶座寮長にして彼らの同期、そして一週間ほど前からシャロレーと交際を始めた人物だ。
フォンスも彼らの関係はよく知っており、中等部にいた頃から度々つるんで奇行に走っているのを見かけている。もちろんそういったところを抜きにしても仲が良く、ちょうど先日クラスメイトが「あいつらにはパーソナルスペースってモンが無いんすかね」とぼやいていた。
ふたりが付き合い始めた、という噂は、フォンスにとっては意外なようにも、必然であるようにも思えたものだ。ちなみにその噂は瞬く間に広がり、彼らの友人ほぼすべての知るところとなったわけだが。
「で、レーギスがどうかしたのか」
「いや、フラッドはどうもしないんだけど……」
「……はっきり言え。いつもの勢いはどうした」
もにょもにょと口を動かすシャロレーに、フォンスはぴしゃりと言い放つ。こんな風になってはいるが彼のメンタルはオリハルコン並に頑丈なので、多少雑にあしらったところで特に支障はない。……はずだ。
片頬を机の天板につけ、唇を尖らせながらシャロレーは続ける。
「なんかさ、最近……おかしいんだよ」
「まぁ、確かにお前はここのところ、いつも様子がおかしいが」
「茶化すなよぉ……俺だってわかってるよ……」
「……今のは俺が悪かった。で、なんだ、どうしたんだ。どこがおかしい?」
シャロレーが若干拗ね始めた気配を感じ、フォンスは慌てて軌道修正をする。別に拗ねたところで害はなく、一晩寝れば彼自身忘れているようなものではあるのだが、今回は話を聞いてやろうと声をかけているのだから本末転倒だ。
「……俺ね、あいつのこと、今でも一番の親友だって思ってる」
「あぁ」
「昔からフラッドのこと大好きだったし、一緒に居て楽しいからつるんできてさ……、それはこれからもずっと変わんないって思ってた」
そこまで言って、シャロレーはぐり、と額を天板に押し付ける。
「変わってない、はずなんだ。一緒に居たいのも大好きなのも同じはず。なのになんか気持ちばっかでかくなっちゃって、これ、……重いんじゃないかって……」
フォンスにも愛する人がいるから、シャロレーの言い分はなんとなく理解できる。告白をする、それを受ける。それに至るには過程があり、相手へ向ける感情というのは恋人になったからといって急激に変わるものでもない。
だからシャロレーの言うように、彼自身の感情も変わってはいないのだろう。ただフラッドへ対する想いに気付き、心を占める割合が増えてしまったというだけで。
「俺知ってんだよ。フラッドはこういう重い、めんどくさそうなの好きじゃないって。なのによりによって俺がこんな、バレたら嫌われちゃうかもしれない……」
「……なるほど」
今にも死にそうなほど弱々しい声を聞きながら、フォンスは神妙に頷き、思った。
(ただの惚気話か……)
……シャロレーは気付いていないようだが、フォンスは知っている。彼らが付き合い始めてから、それを知った上でちょっかいを出そうとしてくる相手を、フラッドが思いきり牽制しているということを。
そのときの彼の目といえばびっくりするほど冷えていて、いつもにこやかな美青年がそういう顔をするととても恐ろしいのだな、と思ったことは記憶に新しい。
しかし、それはつまりフラッドはだいぶシャロレーに入れ込んでいるということで、シャロレーも彼のことを考えて夜も眠れぬこの有様だ。
お似合いだし、安泰だな。と、フォンスはしばし遠くを見つめ、それからシャロレーの肩を励ますように軽く叩いた。
「お前がいつも通り接してるなら多分大丈夫だろう。わかったら、それを飲んで早く寝ろ」
「はぁい……」
悩める仔羊の夜は長い。
+
「……なんで牛乳?」
「お前に出したときは温かかったんだよ……」