【ほしあす】逃げるが勝ちだが角が立つ

あぁ、今日も視線が痛い。
次の授業は移動教室。クラスメイトであり同じく春寮生であるフォンスと並んで歩きながら、シャロレーは深々とため息をついた。

先日行われた牡羊座寮長の代替わりを賭けた決闘。挑んだ副寮長は見事現寮長に下克上を果たし新寮長へ就任。それに伴い牡羊座は新たな副寮長を選ぶ流れとなった。
「今から名前を呼ばれた者は前に出るように!!」
就任したばかりの新寮長がよく通る声で名前を呼んでいく。
決闘の結果を見届けるべく、その日はシャロレーもその場にいた。一人で行くのはつまらないから、とフォンスを引っ張って見に行ったわけだが、そのフォンスは決闘を見ながらずっと難しい顔をしていたので、悪いことをしたかなという申し訳ない気持ちになる。
しかしその決闘は代替わりをもっておしまい。新たな副寮長はどのように決まるのか、とわくわくしながら名前を呼ばれた生徒たちを見ていたシャロレーであったが、
「次、シャロレー・マイヤーズ!」
……まさか壇上から自分まで名前を呼ばれることになるとはまったく予想していなかった。
何故あのとき名前を呼ばれたのかは今でもわかっていないが、まぁ、シャロレーは日々学園内で困りごとを抱える生徒を助ける慈善活動を行っている。それを見かけた新寮長が物は試しにと呼んだとしてもおかしくはないのかもしれない。
フォンスにちらりと視線を向けると、「がんばれ」と言わんばかりの顔で頷かれ。そして参加したのが副寮長を決めるための簡易的なバトルロワイヤルだった……の、だが。
名前を呼ばれたのは大体がパワー系の能力を持つ生徒たちで、シャロレーの「道を組みかえる」というややトリッキーな能力では、率直に言えば正面突破は難しいと思われた。
負けず嫌いのシャロレーはどうせやるなら勝ちたいという気持ちが強い。ならばせめて少しでも勝率を上げる作戦を考えざるを得なかったわけで。
そこで彼が選んだのは「逃げるが勝ち」戦法であった。
もちろんただ逃げ続けるだけではない。誰がどのあたりにいるのかを把握した上で道を組みかえ潰し合わせたり、逃げつつも不意討ちでダウンを狙う、そういった地道かつ遠回りな戦法を選んだのだ。
基本的に直情的で気も強く、正々堂々の勝負を好むシャロレーだったが、今回ばかりは話が別。というよりむしろ、これこそが己の能力を最大限に利用した正攻法だとすら思っていた。
寮長とは能力が完全開花したみんなの憧れの存在であり。副寮長とはそんな寮長からの指導を特別近くで受ける立場である。
その副寮長を決めるためのものならば、この競争の中で「己の能力を見せつけ」「どこまで使いこなせるかを提示し」「その上で勝つ」。この三点が最も重要であるとシャロレーは考えていた。
……結果としてとんとん拍子に彼は勝ち残り、副寮長の座を手に入れたのだ。
壇上で牡羊座のピンバッジを新寮長から賜るとき、シャロレーは健闘をたたえる拍手の隙間からある一定の感情を含んだ視線を感じていた。
――どうしてあいつなんかが。

「これさぁ、地味に心にくるよなぁ」
「副寮長になったばかりなら誰でも通る道だ」
フォンスはシャロレーよりも早くに副寮長に就任しており、立場としては少し先輩になる。
入学以来ずっと同じクラスであったシャロレーは彼の性格や能力もよく把握していたし、責任感が強く頼りになるフォンスが副寮長になるなら安泰だと手放しで喜んだものだが、そんな彼のときもやはりこういうことはあった。
追いかけ回されて困っていたところを度々助けたりもしたものだ……とシャロレーは遠い目をする。
牡羊座には「電光石火」の異名があり、あのとき自分以外に選ばれていた生徒たちはそれに釣り合うような能力の者ばかりだった。そう考えると、一見すればただ便利なだけの能力を持ったシャロレーが副寮長になったことを快く思わない者がいたとして仕方がないだろう。
シャロレーは自身が負けず嫌いなのもあり、負けたときの悔しさはよくわかっている。だがその悔しさもしばらくすれば収まるものだと思っているから、もう少しの辛抱だとも。
少なくとも親友や仲が良い友人たちは祝ってくれたのが心の救いだ……としょぼしょぼしながら歩いていれば、シャロレーの肩に強い衝撃が走る。
「わ、ごめん」
……チッ」
それは同学年か先輩か、シャロレーよりもいくらか背が高く体格の良い生徒だった。三人で連れ立って歩いており、横にいてシャロレー側へ視線を向けていたフォンスには、彼らがわざとぶつかってきたようにも見えた。
それだけならよかったのだ。
……あいつが牡羊座の副寮長?」
「いつ見ても細っこくて頼りねぇな」
ボソボソと背後から聞こえる、先程の生徒たちの非難の声。歩を進めようとしたシャロレーの肩がぴくり、と動く。
「あれだろ? 漁夫の利勝ちしたんだろ?」
「最初に落ちると思ったのにさぁ、しっぽ巻いて逃げ続けたやつに勝たれちゃ浮かばれねぇよな」
声を聞きながら、フォンスは内心はらはらしつつ背後とシャロレーに交互に視線を向ける。彼らはわざとやっているのだろうか。シャロレーの眉間のしわがどんどん深くなってきている。しかしそれでも堪えているのは成長だなと思ったが、
――あんな意気地無しより俺の方が、副寮長に相応しいに決まってる」
それが決定的な一言だった。隣にいれば嫌でもわかる、漂う雰囲気の変わり方。
「おい、マイヤーズ」
「悪いこれ持ってて」
シャロレーはフォンスに手にしていた教科書たちを押し付け踵を返す。つかつかと歩み寄ったのは案の定あの三人組の元で、先程「意気地無し」と言い放ったリーダーと思われる生徒の肩をシャロレーが叩いた。
「あ? ……!?」
「誰が意気地無しだって?」
振り返ったその生徒のネクタイを掴んで自分の目線の高さまで引き寄せる。それは明らかに喧嘩を売っている図であり、周りで見ていた他の生徒たちがにわかに色めき立った。
「お、……お前だよお前! この前だって逃げてばっかりだったじゃねぇか!」
「へぇ、よく見てんじゃん。どーも」
に、と口角が上がるが明らかに笑っていない。
そう、何を隠そうこのシャロレー・マイヤーズという人間は、非常に血の気が多い性格であった。いや、血の気が多い、というと語弊があるのかもしれない。
嬉しいと飛び上がらんばかりに喜び、許せないことがあると烈火のごとく怒り出す。とにかく感情の振れ幅が大きく、その表現がストレート。わかりやすくて良いのだが、彼自身はそれで疲れないのかと不安になるレベルだ。
普段はニコニコ笑顔で、困っていれば誰にでも手を差し伸べるヒーロー然としたシャロレーだが、一度地雷を踏んでしまうと怒りが収まるまでの間は手がつけられない。彼の友人たちはそれをよく知っているし、シャロレーの地雷は火を見るよりも明らかなので、わざわざ踏みに行ったりもしないのだけれど。
「で、お前のが副寮長に相応しいってのは何を基準に言ってんだ? 名前呼ばれもしなかったくせに」
「なんだと?」
もはや完全に煽っている。後ろで聞いていたフォンスは副寮長がそれでいいのか、と仲裁に入ってやろうかとも一瞬思ったが、そうすればこちらに飛び火しかねないので、ため息をついて彼の背中に呼びかける。
「先行ってるぞ」
視線もくれず手だけ振って返すシャロレーに、フォンスは軽く肩を竦めて去っていった。ストッパーになり得る彼がいなくなってしまえば、この場にシャロレーを止める者はもういない。
「あの席争いん中にいなかったのに、よくもまぁそんなこと言えるよなぁ」
「こいつ!!」
振りかぶられた拳をひょいと避け、彼のネクタイから手を離す。だいぶ強く握ったため変な跡がついてしまったが、先に喧嘩を売ってきたのは向こうなのだから仕方あるまい。
「テメェ避けてんじゃねぇ!」
「もうこいつやっちまおうぜ」
気付けばギャラリーが増えており、野次馬たちの好奇心に満ちた視線が全方位から向けられている。シャロレーはその状況にもイライラしつつ、どこか冷静な思考で言葉を選ぶ。
「んー、じゃあ、俺と勝負する?」
「はぁ!?」
「勝負とかするまでもねぇだろツラ貸せ!」
「なんだよ俺に負けるのが怖いわけ?」
勢いのままに言ったセリフが馬鹿にしたように聞こえたのか、先程シャロレーを意気地無しと謗った三人組のリーダーが顔を真っ赤にして怒鳴った。
「誰がテメェみてえな腰抜けに負けるかよ!!」
「そんならいいだろ、腰抜けと勝負しようぜ。次の授業が始まるまで俺と追いかけっこしよ」
追いかけっこ、という単語に彼らの目が丸くなる。殴り合いでは数で負ける上に体格差があるから勝機は薄い。そもそも校内でそんな暴力沙汰を起こそうものなら奨学生としてのメンツに関わるし、実家の家族に顔向けもできない。そう思っての提案だ。
「俺が逃げ切ったら俺の勝ち、捕まえられたらお前らの勝ち。俺は能力使うからお前らも使っていーよ、三人でかかってきな」
……追いかけっこにお前の能力はずるくないか……?」
三人組の内、これまで黙っていた生徒が口を開く。もちろんそう言われることは承知の上だ、道のあるところであればこの能力は大抵強い。だが、「自分の方が副寮長に相応しい」のであれば、能力を使ってそう証明してくれないとシャロレーの気は収まらない。
「だから三対一ってハンデくれてやってんじゃん。俺に勝てたら寮長にお前のが向いてますって推薦してやるよ!」
びし、と人差し指を突き付けて高らかに宣言すれば、ようやく彼らも提案に乗る気になってくれたようだ。
まだあの寮長のことはよく知らないが、人となりよりは能力面を見て副寮長を選んでいたように見えた。もしも彼らが自分に勝てるなら――勝たせるつもりはまったくないが――寮長はシャロレーの話を聞いて再選考するかもしれない。
実際そんなことになれば悔しさのあまりどうにかなってしまうかもしれないが、そのくらい己を追い込まねばこの勝負に意味がなくなってしまう。緊張感のない勝負などただのじゃれ合いであるし、そうしたギリギリの精神状態で勝つからこそ勝利がより実感できるというものだ。
これだけの人が聞いている中で叩きつけた挑戦状。ここまで来たら自分の前に顔を出そうという気が二度と起きないよう、真心込めて、徹底的に、再起不能になるくらいの勢いで、やつらの精神をぶちのめしてやらねばならない。

+

(来ないな……
始業のチャイムが鳴る1分前、次の授業の移動先へ先に到着しているフォンスはちらりと壁の時計に目をやった。
根が真面目なシャロレーのことだから、授業に遅れるなんてことはそうそうないだろうが……だいぶ火に油を注いでいたように見えたし、何かあったのかと多少心配にはなる。
ガヤガヤとしていた生徒たちはちらほらと席につき始め、教師も前の扉から教室に入ってくる。チャイムが鳴って点呼を取り始めた教師がシャロレーを呼ぶが、普段であれば聞こえるはずの元気な返事がなかったため、おや、というように首をかしげた。
「誰か、マイヤーズがどこに……
「すみませんこれギリギリ間に合ってますかー!?!?」
ガラガラ、ピシャン。勢いよく教室後方の引き戸が開いて跳ね返り、それを手で受け止めたシャロレーが廊下から顔を出した。その姿に教師は腕時計を見て、それから呆れたように息をつく。
「そういうことにしておこう。席に着きなさい」
「やったー! 先生ありがとーございます!」
すれ違うクラスメイトにニコニコと笑顔を振りまき席まで移動しているところを見ると、とても機嫌が良さそうだ。フォンスは少し安心しながら隣に座った彼にこそりと声をかける。
「ご機嫌だな……、何かあったのか?」
「んー? うん、勝負で勝った!」
「勝負? ……彼らと?」
「そ! 追いかけっこちょー楽しかったぞ!」
「なるほど」
してやられたわけだ、とフォンスはあの三人組に僅かな憐れみを向けた。怒ったシャロレーはそれはもう容赦がなく、手加減も忘れて相手を叩きのめそうとするところがある。きっと彼らも散々な目に遭ったに違いなく、しばらくは大人しくせざるを得ないだろう。
しかし、怒りが収まれば即座に機嫌が戻るその切り替えの早さは見習うべきものがあるとは思うが、誰もがすぐさま負の感情を割り切れるわけではない。そういったところがシャロレーの不利に働かないかとフォンスはたまに心配になる。たとえ敵を作ってもその分味方も多い彼だから、さして問題はないのかもしれないが。
「程々にしておけよ」
「大丈夫だって〜、逃げ足の速さなら誰も俺には勝てねーから!」
「そういうところだ」
フォンスのツッコミに機嫌良く手にしたペンを回し、シャロレーはけらけらと笑ってみせた。