【ほしあす】最初の一手

シャロレー・マイヤーズにとって、新学期とは大変心躍るものだった。
知らない場所、知らない人、知らない世界! まだ見たこともない何かに出会える、そんな季節。
案の定初回登校前日は寝付けず終わり、睡眠不足の妙なテンションのまま、シャロレーは新たなクラスメイトたちに声をかけて回っていた。
声をかけるのは、なるべくひとりでいる子から。人見知りなだけならきっかけを作れるし、ひとりが好きなら把握できる。ついでに世間話もして何が好きかがわかれば万々歳。その答えは別に自分が好きなものでなくてもいい、知らないのなら教えてもらえばいいだけだから。
話しかけた際の反応は様々で、嬉しそうにする者、気だるそうにする者、驚く者や不思議がる者。
傾向はあれどただのひとつも同じものはなく、シャロレーは新しい友人となる面々の顔と名前を覚えるべく嬉々として教室内を駆け回っていた。
そんな中、ふと教室の一角に目が留まる。
……混み合ってるなー」
そう口に出てしまう程度には、その一帯だけが妙に人口密度が高かった。
複数人の生徒がとあるひとりの少年を囲み、なにやら話しているようだ。一瞬いじめか何かかとも思ったが、彼らの表情を見るにそういう類のものではないらしい。
少し動いた生徒たちの切れ間、中心にいる人物に視線が届く。
灰がかった金の髪、透けるように白い肌。同性から見ても整った顔立ちをしている彼は、どこか浮世離れした不思議な雰囲気を持っていた。
その生徒の名前は、確か――――

 

……フラッド・レーギス?」
「うん?」
呟く声が聞こえたのか、夕日に照らされきらめく髪が揺れた。冬空に似た色の瞳がこちらを見て、いたずらっぽく細められる。
あの日教室で見た通り、きれいな人だとシャロレーは思った。
……おがくずにまみれてさえいなければ。
「キミは?」
「俺はシャロレー、……な、何してんの……?」
「これ?」
きょとんとした顔で目の前の彼――フラッドが自分の手元を見てみせる。制服の上着を脱ぎ、お手製と思わしきエプロンを付け、右手にはのこぎりを持っている。
どこからどう見ても、放課後の校庭に似つかわしい格好では、ない。
――新学期開始から数日。教室内では瞬く間にコミュニティが形成され、シャロレーもその中のいくつかで仲の良い友達を作り始める頃のこと。
今日はスポーツを好む生徒たちの輪に加えてもらい、サッカーをして……じゃんけんで負けたため、校庭の隅の隅にある倉庫にボールを返しに行った。
その帰りの道中にフラッドがいた、というわけだ。
ただクラスメイトが校庭にいるというだけなら立ち止まりもしなかっただろう。校庭は広いが、同じ敷地にあるのだから寮の門限に間に合わないということもないだろうから。
だが、この状況。おがくずまみれになり、のこぎりを持ち、片足で身長ほどもある木材を踏みつけにしている、目の前のこの少年。放っておけと言う方が難しいのではないだろうか。少なくともシャロレーならば声をかけるし、実際かけた。
「見てわからない? DIYだよ。日曜大工」
「えっ今日は水曜だけど」
「そういう日本語があるんだよ」
困惑して的外れな指摘をすれば、フラッドは面白いものを見るような顔をした。心外だ、とシャロレーは思った。教室では落ち着いた人間に見えたのに今現在のこの有様、絶対こいつの方が面白いに決まっている。
そんな暫定的面白人間である彼はしばらくニコニコとしながらシャロレーを見ていたが、
「して、シャロレークン」
「なに?」
唐突にべちん、と足元の木材をのこぎりで叩き言った。
「問題です。俺は今、何を作っているでしょう」
なんだそのクイズは。
喉から半分ほど出かけたツッコミをどうにか胃の奥にしまいこむ。いや、なんだそのクイズは。このバラバラに切り崩された木材たちを見て、いったい何を連想しろというのだろう。
普通ならばそう一蹴して終わるのだろうが、シャロレーはそれを真面目に考察をし始める。他人の発言をすぐ真に受けるのはシャロレーの悪いところである。
「なんだろ……。木でできてるんだろ?」
「うん!」
……ごみばこ?」
「あぁ、形状は近いかな」
「マジか!」
ゴミ箱に形状が近いとなると、おそらくは箱型の、中に何かを入れるための道具だろう。そしてそれを作るための木材たちはそこそこ大きく、またどことなく独特な匂いをかもしている。
これを使って作る道具とは。熟考に熟考を重ねたシャロレーは、合点がいったとでも言うかのように両手をポンと重ねてみせた。
「わかったぞ!」
「ん、では回答をどうぞ」
「棺桶だな!?」
……
微笑みを湛えたまま、フラッドが一度、二度と瞬きをする。足元に転がる木材と、自信満々に答えたシャロレーを見て、それからのこぎりをみょん、と一度だけたわませた。
……なかなかに斜め上だね」
「で、正解なのか!?」
「不正解です」
「そんなぁ!!!」
「そもそも、校内で棺桶作って、何に使うと思ったの」
本気で愕然とするシャロレーが面白かったのか、フラッドがからからと笑い声をあげる。一生懸命考えて出した答えを笑われるのは何とも悔しい気分だが、実際校内で棺桶を使う用事など何一つ思い至らない。というかあったら困る。
一頻り笑い終えて満足したのか、フラッドは普段通りの笑顔に戻り、言葉を続ける。
「埒があかなそうだからネタばらしするけど」
「なんだよその言い方」
「まぁまぁ。……これはね、お風呂にしようと思って!」
「お風呂???」
ゴミ箱と全然形違うじゃん、とシャロレーは思った。それからお風呂は寮にあるじゃないか、とも。
「うん、確かにお風呂は寮にもある」
「えっ何、心読んだ!?」
「いや顔に書いてあったから」
「書いてねーし!」
「書いてあるよ」
書いてない! と力説するのを軽くあしらい、フラッドは涼しい顔で説明を続ける。風呂を作る理由とメリット、加えてどこかから設計図と完成図を取り出し見せられて、こんなのも自分で書いたのか……と妙なところに感心した。
……ってわけでね、せっかく日本に来たし、檜風呂でも作って入ってみようかと」
「なるほど、よくわかんないけどわかった! でもそれ入浴剤でよくないか!?」
「君はカニが食べたい人にカニカマを勧めるタイプかな?」
そう言い返されると確かにそれもそうか、となってしまう。偽物は所詮偽物で、本物にはかなわない……のかもしれない。シャロレーの庶民的な舌にカニカマは十分美味しいし、カニは食べたことがないので、感覚的な話にはなるが。
大体の思考はすべて顔に出るシャロレーなので、フラッドはその様子を見て反論も質問もなさそうだな、と悟ったのだろう。
「ご理解いただけたようで何よりだよ。それじゃ、気を付けてお帰り」
言いたいことは言い終えたからあとはご自由に、とでも言わんばかりに木材を切り出し始める。彼の言葉に一通り弄ばれた後放置される形になり、シャロレーは黙々と作業を進めるその姿を少しの間見ていたが、
「なぁ」
「ん? まだ何か――
「なんか手伝えることない?」
俺、結構力仕事とか得意だぞ。と続ければ、フラッドは至極不思議そうな顔で問いかけた。
……どうして?」
「どうしてって……面白そうだから!」
「お風呂が?」
「お前が!」
どう考えたって校庭で急に風呂を作り始める学生が面白くないわけがない。正直そうするに至る思考回路はまったく理解できていなかったが、今わからなくたって、一緒にいれば気付くこともあるはずだ。
仲良くなるにはまず相手へ興味を持つこと。それから同じものを見て、共有して、話すこと。それがシャロレーの持論だった。
「風呂もいいけど俺はお前の方が気になる!」
なんの問題もない順風満帆な新学期のスタート、穏やかに温く流れていく学校生活。それはそれでいいものではあるが、こんな面白い人間が近くにいるなら飛びつかない道理はどこにもない。
こいつといれば、この先の日常がきっともっと楽しく刺激的なものになる。直感がそう告げていて、それならこの言葉を心に留める理由もないだろう。
勢いよく差し出した手がフラッドの深い青の瞳に映り、そしてその視線がゆるりと上がる。
柄にもなく緊張しているのか、それとも改めてこんなセリフを口にすることへの気恥ずかしさか。少しばかり鼓動が早まる。だが、ここで宣言しなければ、明日からもただのクラスメイトで終わってしまう気がして。

「なぁフラッド、俺と友達になってくれ!!」

真正面から彼の視線を受け止め、シャロレーは満面の笑みでそう言った。